鴨長明 久安百首

鴨長明 久安百首

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本論文でとりあげる『久安百首』は崇徳院の命令により、久安六年(1150年)におおよその完成をみた応制百首である。これまで『久安百首』は『堀河百首』の影響下にある作品として、俊成の詠作を除けば、それほど重視されてこなかった。

『鴨長明集』は、いわゆる寿永百首家集の一つで、 春・夏・秋・ 冬・恋・雑に部類され、百五首 (うち他人詠一首) を収める。ただ る箇所がある。その成立は養和二年し、諸本とも、秋部に「荒屋見月」の題のみを記して和歌を脱す (一一八二) 五月と ...

また、鴨長明 ... 寂蓮左右なしといふ事になりにき」と評価が上がったとし、また、三体和歌において、長明自身の出詠歌を事前に見せた時に、同じ様な「高間の桜」を詠出していたが、文句も言わず「いと有難き心也かし」と ... — 『小倉百人一首』87.

建保名所百首: 1215年11月6日: 院四十五番歌合: 1215年6月30日: 月卿雲客妬歌合 1215年7月9日: 長明集(鴨長明集) ※1216年: 内裏百番歌合 1216年7月25日: 歌合 1216年10月5日: 歌合 1216年10月7日: 歌合 1217年5月26日: 右大将家歌合: 1217年9月: 右大臣家歌合: 1217年10月: 四十番 ...

4.奉納百首との比較検討のため、応制百首『久安百首』の長歌を中心に表現分析を行い、帝への奉献の際に見られる述懐性の表出について考察した。その成果を、前掲学位論文第一編第一章第二節「『久安百首』の述懐歌」にまとめた。

若い時は歌の名手ともてはやされながら、年を経て後鳥羽院歌壇の面々からボロボロに批判されて「歌の盛りに死んでいれば名を残せたものを、徒に長生きしたためにむざむざ名を落してしまった」と嘆いた藤原隆信(※1)を鴨長明は『無名抄』で次のように描写している。

久安百首歌たてまつりける旅の歌(二首) 我がおもふ人に見せばやもろともにすみだ川原の夕暮の空(新勅撰519) 【通釈】私が恋しく思う人に、この景色を見せたいものだ。隅田川の夕暮の空を。 【語釈】 すみだ川 武蔵国の歌枕。

「前小斎院御百首」は成立年不明。承安元年(1171)から同三年頃とする説や、文治三年(1187)頃から建久五年(1194)までの間と推測する説などがある。いずれにしても残存する内親王の百首歌では最初のもの。 【参考歌】藤原俊成「久安百首」「長秋詠藻」

源頼政は大小取り混ぜて様々な歌合に積極的に参加して歌人としての名を広めたとされるが、主なものは前回述べた寂然の父・藤原為忠が催した歌合を初め下記のようになる。 1 丹後守為忠朝臣家百首 2 木工権頭為忠朝臣家百首 3 右衛門督家歌合 久安5年6月 4 中宮亮重家朝臣家歌合 永万2年 5 太 ...

【補記】久安六年(1150)までに完成した崇徳院主催の久安百首。三十七歳だった俊成は精魂を傾けてこの百首歌を制作し、しばしば幽玄という語で評される自らの歌風を確立した。同百首中六十五首もが千載集以下の勅撰集に入集している。

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Comments:
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A lot of us would like to move mountains, but few of us are willing to practice on small hills.
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One today is worth two tomorrows.

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Gentleness and kind persuasion win where force and bluster fail.
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