谷崎潤一郎の疎開日記(その一) 谷崎潤一郎には断続的に日記をつける習慣があったが、そのうち昭和十九年一月一日から同二十年八月十五日までの分を、「疎開日記」と題して一篇にまとめている。戦争末期から終戦当日までの約一年半をカバーしている。
谷崎の方は荷風程ひどい目にはあわなかったが、やはり難を避けて関西以西に疎開先を求め、岡山県の津山、次いで勝山に疎開した。 谷崎は荷風が自分の近くに疎開していることを知って、六月二十六日の日記に次のように記している。
ここで谷崎潤一郎は岡山市に疎開していた永井荷風を終戦直前に招待します。谷崎潤一郎の「疎開日記」では、『「六月二十七日、雨後晴 勝山へ馬力一基頼み荷物を迭ることになり本日荷造りす。夜に入りおみきさん来る。
谷崎潤一郎の『疎開日記』によれば昭和20年5月15日から津山に疎開。疎開の経緯なども日記に書かれている。津山で投宿先となったのは松平家別邸宕宕庵(とうとうあん)。 6月27日に勝山に居を移す。
谷崎潤一郎全集. 第二十巻. 谷崎潤一郎 著. 波乱に富んだ蒔岡家の麗しき四姉妹の物語も、雪子の婚約で大団円をむかえる(『細雪』下巻)。ほかに京都で暮らした日々を描いた「月と狂言師」、終戦日記である「疎開日記」のほか、雑纂を収める。
· 今週は”谷崎潤一郎の熱海を歩く”です。谷崎潤一郎は昭和17年熱海の西山に別荘 …
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