紀 貫之(き の つらゆき)は、平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。下野守・紀本道の孫。紀望行の子。官位は従五位上・木工権頭、贈従二位。『古今和歌集』の選者の一人で 、三十六歌仙の一人。
勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)は、天皇や上皇の命により編纂された歌集。 『 古今和歌集 』( 延喜 5年( 905年 )成立)に始まり、『 新続古今和歌集 』( 永享 11年( 1439年 )成立)までの534年間で21の勅撰和歌集が編纂され、「 二十一代集 」と総称される。
日本最古の勅撰和歌集として有名な『古今和歌集』には 「仮名序」と「真名序」の二つの序文があるのですが 「仮名序」は紀貫之が、「真名序」は紀淑望が書いたとされています。 (注:「仮名序」は仮名で書かれた序文、「真名序」は漢文で書かれた序文) ついでに言うと、『古今和歌集 ...
だが、歌人としては極めて華やかな存在で、初の勅撰和歌集『古今和歌集』の編纂にあたり、仮名による序文「仮名序」を執筆、当時、名実ともに第一人者となった。紀貫之の生年は866年(貞観8年)もしくは872年(貞観14年)などの説があり定かではない。
勅撰二十一代集 一覧 ・後拾遺集の本来の名称は「後拾遺和歌抄」。それ以外は「古今和歌集」など「和歌集」が付くのが正式名称である。 ・金葉集の成立・歌数は所謂二度本のそれとした。 ・巻数は金葉集・詞花集のみ10巻で、他は全て20巻である。
・貫之集(946)紀貫之(つらゆき) ・公忠集(948)源公忠 ・陽成院ー親王姫君達歌合(948) ・後撰和歌集(955〜957)*勅撰(八代) ・内裏歌合(955) ・麗景殿女御歌合(956) ・宣耀殿女御瞿麦合(宣耀殿御息所歌合)(956) ・坊城右大臣殿歌合(956)
· 勅撰集に多くの和歌が入集されるだけでも、とても名誉あることですが、紀貫之は撰者にも任命されています。 905年、紀貫之が30代の頃、醍醐天皇の命により、初の勅撰和歌集である『古今和歌集』の撰者となりました。
【他出】貫之集、古今和歌六帖、拾遺集(重出)、綺語抄、五代集歌枕、定家八代抄、歌枕名寄 題しらず ふる雪を空に 幣 ぬさ とぞ手向けつる春のさかひに年の越ゆれば (新勅撰442)
和歌 だけでなく、 漢詩の教養 なども身につけていた紀貫之。. 若くして、寛平御時后宮歌合などの大規模な歌合に参加します。 そして醍醐天皇の命により作られることになった、日本初の勅撰和歌集 『古今和歌集』 の 撰者の一人 にも選ばれました。. さらに紀貫之は 『古今和歌集仮名序 ...
There is no great success without great commitment.
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